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あさぎ作小説「終末カグヤ」⑯とあさぎ屋外ヌード

修正後6

卯野は、紙を丁寧に乾燥用の布へ寝かしてから、表紙の汚れた分厚いスケッチブックを拾い上げた。「君、ええと、トモカさん」
「あ、……はい」
「あなたのことも描いておきたいな。こっちへ座って、僕に顔を見せて欲しい。楽にして、何も話さなくていいから。いや、別に話したいことがあったら、話してくれてもいいよ。……榊、この人をちょっと借りていいか? 竹皮のお礼に、裏にある米と、あと缶詰の好きなの、なんでも持ってっていいから」
 榊は「ああ、いつものな」と言って、ぶらりと、微風を連れて布をくぐっていく。トモカの手を、小さくて丸っこい指が引っ張った。絢子が、「こちらへ、どうぞ」と、たどたどしい敬意表現で、室の座布団を指差している。大人よりも熱く凝縮された体温が、有無を言わせず、トモカの足を座らせた。卯野はひびの入ったプラスチックの筆箱から黒っぽい鉛筆をざらざらと出して、指ではじきながら選び、スケッチを始めた。鳥が枝の間をせわしく飛び回るように、腕が小刻みに、緩く激しく跳ねては流れ、つっかえて、ひと呼吸、途切れ、眠り、また蘇り、猛烈な高速の中にも、トモカへまっすぐ深くまで差す目がある。
広げたスケッチブックから、波間を泳ぐはしっこい魚のように、繰り返し光り覗く。トモカは人形か置き物のように、不動で座っていた。出来るだけじっとしていようと試みたが、桃色の胸のふくらみは、時々震えて、上下した。絢子が、お盆に茶を乗せてきて、トモカ野前に出した。茶色の陶器、誰かの手びねりと見える質素な造りだった。
「……あの」
「ああ、遠慮なく飲んで」
 卯野は質問を聞かずに、鉛筆を横にしたのを目の前へかざし、近づけ遠ざけしながら言った。後ろの方では、榊がなにやら重い物を一袋床へ置く音がし、しばらくたってから別の住居の住民とらしきやり取りの声が聞こえてきた。カーテンの幾重もの薄さのうしろへ、榊の影が、たゆたい歩く。「あの。……どうして、こんな時なのに、絵を造ったり、飾ったりするんですか?」
トモカは、同時に榊にも訊いたつもりだった。例えば〝あいつら〟から逃れるための地下都市でも造るなり、そんなことよりもとにかく生活をするなり、少しでも多くの米や食べ物を生産するなり。こんな絶えかかった世界であれば、そういう〝現実的〟なものだけが幅を利かせているはずではないのか? 竹や竹皮の細工よりも、金工や木工のほうが扱いやすいし生産も早いだろう。彫絵に至っては、食べられもしない、使えもしない〝役立たず〟として淘汰されていそうなものだ。卯野自身だって、空腹で墨にまみれるより、まず少しでも多くの穀果を、とは思わないのだろうか。
 四角い画用紙の角から、卯野の図体にあわぬボタンのような眼が半分だけ見えて、隠れ、「いいね。君はいい絵になるよ」それから、間延びした欠伸をひとつすると、髭の中の唇をもしょもしょと動かした。「どうだろうねえ。こんな時もそんな時も、ないんじゃないのかなあ。その質問はさ、〝人間は絵や美がなくても生きていける〟っていう前提でされてるように、僕には聞こえる。だけど、美しい物のひとつも感じられなくって、夢も見ないとしたら、それって〝人間が生きてる〟っていえるのかな?」
 榊がスイッチをつけたのか、傍で例のラジオが鳴り出した。詩の言葉が次々と、あの幽霊のような崩れた都市のどこかからだろうか、流れてくる。トモカはぼんやりと、そうかもしれない、と思った。別にとりたてて何かを美しいと思ったことはないけれど、それは、どこに行っても誰かが美しい物や楽しいことを次々売ってくれる時代で、飢えを知らずに育った贅沢さかもしれない。
「もしも色のない服を着て、最低限の言葉で、食べ物とセックスだけのために生きるなら、僕にとっては生き残る価値がないんだ。〝あいつら〟が何をしようと、僕は〝生きていたい〟。人間として生きようとすることをやめたら、あのビームで殺されてしまったのと変わらないよ。そんなの、腹が立つじゃないか?……勿論、絢子には価値観の無理強いはしないつもりだよ。絢子が、本や絵なんか要らない、そんなものより食べ物と化粧品がほしいと思ったら、売り払っても構わない。もしも人間というものの定理が変化して、例えば〝あいつら〟みたいなのが普通になっていくとしたら、それも構わない。ただ、僕は、そうは生きられないのでね」たぶん、榊も――と、卯野は付け足して、それから数分は何も話さず、口を固く結んで指先の疾走へと耳を澄まし、――詩人のラジオから羽ばたきが、見えぬ透明な羽ばたきが。唐突に、「ああ、出来た。見るかい。こちらへ回ってごらんよ」と、黒い粉で汚れた大きな手が手招く。「……」トモカはいそいそと立ち、紙の逆側で、目を何度もしばたたいた。「これが、……わたし?」長い間、自分の姿を鏡で見なかった気がする。いつの間にかカーテンの向こうから戻っていた榊が、ひょいと首を出して「うん、あの顔だ。あんたの、あの顔」と、歯を見せた。
 画用紙の中の、女は笑っていた。荒々しく削った輪郭線を、丁寧に梳き直してまっすぐ、斜めに、上に、下に下に、みっしりと密度濃く描きこまれた若い女が。白いワンピースの肩を痛々しく晒し、双眸の彼方に覆いきれない炎を宿しながら、微笑してこちらを見つめている――。
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