FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

あさぎ作小説「終末カグヤ」⑧とあさぎ屋外ヌード



――八時になりました。
 ラジオが時を告げ、詩の朗読が始まった。象の詩だった。汐波が渚を打ち、月の引力に従って引いていく響きが、竹皮の擦れる音と重なって室内を逡巡する。竹の家具の足元にできる影が、象の群に見えた。
「わからないの」
 歯がみして、女は言った。眉間に深く皺が寄った。自分がどこの何者なのか、思い出そうとしても、頭の中にそびえ立つ固い巨大な壁に突き当たるだけだ。持っている記憶といえば、なんとなく体に、降り積もった土と葉との上に横たわっている感じがあったこと、男の背中に背負われて、カシロダケの林の坂を下り、ここへ運び込まれたということだけ。昨日、竹皮を取りにきたら、裸足で林の麓に倒れていたのだ、と男は言った。
 男は低い、眼と同じように透った声で、「いいよ、ここらでは、そんなものだから」と言った。宥めたというより、それを気にする概念がない様子だった。それから、「名前とかも、覚えてないね?」と、訊き継いだ。
「名前、」
 そういえば、ここへきたのは昨日だというのに、男と名前を言い合わなかったと、思い当たる。男は、今日はこんなにいろいろ話してくれるが、昨日はほとんど、無言だった。女がはっきり意識を取り戻したとき、男は室の中央後ろにある囲炉裏の炭に石を打って火をつけていた。傍の鉄鍋の中には竹の子と山菜、少しの米に、鶏の卵が濃く入っていた。真っ黒な炭が、大地の底の炎のようなオレンジ色に焼け染まり、煮上がった雑炊は、女の膝元に竹皮の椀に注がれて置かれた。女がぼんやりしていると、男は木のさじで雑炊を掬い、息を吹きかけてから、女の口に黙って掬い向けた。ちょうど、幼い子供に、父親がそうしてやるようなしぐさだった。
 それから女を眠らせた。古いカヤのような匂いのする、しかし清潔な布団を敷いて、女の肩をひょいと押して横にして、上から薄い布をかけた。食べさせてくれた時と同じように、なんの他意もない、丁寧で呆気のないしぐさだった。気温は、眠るのにちょうどよかった。夢を見ない、空白の眠りがあって、女が目を覚ますと、男は朝食の粥の鍋の前にあぐらをかいて、件の作業をしていた。声は、女が話しかけるまで、掛けなかった。
スポンサーサイト
コメント
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。